明治から昭和まで、北海道の各地では大量の良質な石炭を掘り、北海道、ひいては日本の近代化を支えました。
戦後、石油への転換という国策により、今ではそのほとんどが廃鉱となり、かつては多くの人で賑わった鉱山都市は人口が激減し、行政区分としては「市」なのに、人口が10000人を下回る自治体もあります。
北海道中央部に位置する夕張市もその一つで、かつて石炭で栄え11万人を誇った一大産業都市の人口は、最盛期の1/10以下、9000人を割り込んでいます。
今回、その石炭の街を支え続けた「北炭清水沢火力発電所」のガイド見学がある事を知り、行ってきました。
きっかけ
スナックの廃墟もいいけど夕張には旧清水沢火力発電所っていうのがあって有料予約制で合法ですンばらしくエモい巨大炭鉱遺産(廃墟)に合法で入れるからこっちもオススメ。この窓とか最高だろ??10/31までだけど、個人的な撮影だけでなくなんとガイドもつけられて炭鉱の話も聴けるから1度はおいでよ夕張 pic.twitter.com/ukgpRD6pAJ
— しずくちゃん@廃墟 (@hopigon) 2018年9月17日
この建物のことを知ったのはツイッターのこのツイートがきっかけでした。
別のフォローアカウントからリツイートで回ってきたものですが、すぐにネットで検索し調べたところ、翌日にたまたま仕事の休みとガイドの予約空きが重なっていたため、次の日の18日に行くことにしたのでした。自分でもビックリする行動力です。
北炭とは
北炭はその正式名称を「北海道炭礦汽船」といい、約120年前に創業。全盛期は北海道の各地で炭鉱を経営し、鉄道を敷き、港を作り、製鉄所まで所有する、北海道を代表する大企業でした。
現在も一応継続している会社ですが、その規模は往時とは比較にならないくらい小さな会社になっています。
どれくらいかというと、最盛期は18炭鉱・25000人の従業員を有したのに対して、現在は炭鉱は所有せず、ロシアからの石炭輸入を行う商社になり、従業員は22人と、もはや全く別の会社です。
今回訪れた夕張市は、北炭とは切っても切れない関係がありました。
というのも、夕張は北炭の開発した炭田によって栄え、拓かれた街だからです。
そして石炭が主要化石燃料の座から消えるのと同時に、北炭も夕張市も急速に衰えていきました。
清水沢火力発電所とは
石炭を掘り、それを実際に燃料として使えるようにするには様々な工程があり、多くの電力を必要とします。
北炭は北は歌志内市、南は夕張市という直線距離にして100kmもの範囲にいくつもの炭鉱を所有しており、電力の自社供給は必須でした。
そこで1926年に夕張市清水沢に作られたのが「清水沢火力発電所」で、当初6000kWの発電能力の石炭火力発電所でしたが、炭鉱の規模拡大による需要増に伴い増設・増備を繰り返し、最盛期には最大74500kWもの発電能力を有し、社有の発電施設としては日本有数の規模を誇りました。
しかし、周辺炭鉱の閉鎖に伴い清水沢火力発電所の需要も激減し、清水沢発電所も1992年に停止となりました。
その後、敷地を北海道千歳市に本社を置く「東亜建材工業」が取得し、発電所跡も半分以上が解体されましたが、地元有志の提案と所有企業の協力の元で現状保存している状態にあります。
見学について
以上のように、当該物件は一般企業の社有地の中にあり、無断で侵入することはできません(建造物侵入罪です)。
しかし、所有者である東亜建材工業さんと、一般社団法人清水沢プロジェクトの協力のもと、ガイド同伴に限り発電所跡の一般公開を行なっています。
昨年まではガイドなしでの見学(個人で事務所に一言言ってから入っていたそうです)もあったようですが、今年からはガイド付随の入場のみが認められています。
こういった建造物によく使われる「廃墟」という言い方をすると、まるで人里離れた森の中にある朽ち果てた建物を想像してしまいますが、こちらはそうではなく、周囲では多くの重機や作業員の方々が行き交い、仕事をしている場所です。
実際に行っていただければすぐにわかりますが、「勝手に入って良い場所」ではありません。
見学の際は必ず所定の手続きをとって、ガイド同伴の上で入場されることを強く勧めておきます(繰り返しますが無断で侵入することは犯罪です)。
見学予約はインターネット上で行えます。ガイド料として一人1,000円必要になりますが、発電所までの送迎・北炭を含めた夕張の歴史や発電所の案内など、至れり尽くせりでガイドを受けられるので、個人的には非常に安く感じられました。
また、ガイドの方も一通り解説したあとは撮影のための時間なども十分とってくれますので、写真撮影が目的の方も安心して参加できると思います。実際、コスプレやポートレートなどの撮影にも多く使われているとのことです。
見学〜外観
清水沢水力発電所のダム天端から撮影。こうしてみるととても大きな建物です。
ただ、建物の裏側にあたる部分は半分以上解体されています。
周囲は東亜建材工業さんと北海道企業局の資材などが広がっており、ダムはちょうど水力発電所が取り壊されたあとでした(離れたところに新規に発電所を立てるため、企業局が作業しています)。
ガイドの方の車に同乗し、集合地点から5分ほどで到着。
到着時は東亜建材工業の事務所へ挨拶に行きました。
建物の私がツイッターでみた画像には白いビニールシートはなかったのですが、何かの作業をしていたようで、撮影日は入り口左側が覆われていました。
見学〜1階配電盤室
入り口から入ってすぐは配電盤室で、発電された電気を管理するための機械類が並んでいます。
1992年までは使われていたと思われる計器類。メーターの針は全て0を指しています。
この先、もう2度と動くことはないのでしょう。
戦前に製造された、芝浦製作所(現在の東芝)製の積算電力計。
この撮影1ヶ月くらいに、PENTAX-D FA 100mm F2.8 macroというフルサイズ用のマクロレンズを買ったのですが、これが今回とても使えました。
マクロレンズ楽しい…
計器の後ろにある白い板はなんと大理石。現在では考えられませんね。
これはメインスイッチでしょうか。
北海道炭礦汽船の銘板。「礦」の字は「鉱」や「砿」などが当てられることもあったそうで、表記に年代でバラツキがあります。
本来はこの先にも建物があったようですが、現在は解体され産業廃棄物の山が見えます。窓の先に見えているのは木材でしょうか。
見学〜タービン建屋
本来発電機を回すための蒸気タービンがあった場所。今は東亜建材工業の保管場所として使われており、作業員の方も見えました。この先には入ることはできません。
手前と奥で天井の梁の方向が違うのは、奥が後になって建て増しされた部分とのこと。最盛期はたくさんのタービンが轟音を立てて動いていたのでしょう。
タービン建屋入り口の頭上には巨大な天井クレーンが。
ここでもマクロレンズが活躍。なんと大正14年に製造された25屯クレーン。目玉のような日立のコーポレートロゴは、結構最近まで使われていましたね。子供の頃はちょっと怖かったです。
クレーンの上を走る滑車。電線のようなものが見えるので、電動で操作できたのでしょう。
見学〜2階
階段を登って2階に上がるとまず左手に広大な部屋が現れます。ここからは以前レビューしたIRIX 15mm F2.4が大活躍しました。
意味もなくモノクロで現像したくなります。エモいですね。椅子は個撮の時に使われるために持ち込まれたものらしいです。
窓からは水力発電所が見えます。火力発電所が止まった後も、水力発電所のダムは機能していました。
中央に見える階段は使用禁止。3階部分の奥に、外に出るドアが見えます。往時はどういう使い方をされていたのでしょうか…
大きな部屋から反対側を望みます。
天井のトラス梁がめり込んでいることから、右側小窓が並んでいる部分は後から追加されたものではないかとのこと。
奥に進むと謎の構造物。目のように見えるのは穴から碍子(ガイシ)が飛び出しているためです。構造的にトイレにもシャワーにも見えますが、今となってはこれが一体なんだったのかはわからないままです。
窓ガラスがいくつか残っていますが、割れ落ちているものも目立ちます。
個人的に好きな写真。斜めになった高電圧警告がエモい。
ガイド終了後、楽しくて楽しくて、40分くらい無心で写真を撮り続けていたのですが、まだまだずっと居たかったです。ガイドの方は階下で待っていてくれました。
もしまた機会があれば、夕方の時間帯にも訪れてみたいですね。
見学〜半地下
半地下にはタービンで発生した灰が大量に置かれていました(写真の左側、柵がある所)。実際半地下どころではなく、非常に深い空間があるものと思われますが、真っ暗で底が見えない為、ちょっと不気味に感じあまり長居はしませんでした。
見学〜清水沢ダム
こちらはガイド見学のコースではないのですが、ダムの天端まで車で入れる為、帰りに寄ってきました。発電所の外観写真もここからだと綺麗に撮影できます(ちょっと遠いので100mm程度の望遠レンズ推奨)。
ダムの右岸では企業局が水力発電所の撤去・新設工事を行なっています。
ダムの堤体高は25m程度なので、そこまで高い訳ではないのですが、いかんせん水の流れが近い為、下を覗き込むとなかなかタマヒュンなスポットです。
ダム左岸から。こうしてみると大したことない高さに見えるんですけどね…
現像時にペンタックスの緑は本当に綺麗だなーと思ったので載せておきます(笑)
この後、ちょうど昼飯時だったのでガイドの方に教えてもらった屋台村へ行き、中華料理店・南清軒の「南清飯」をいただきました。
カツに醤油餡がかかっている「あんかけ飯」なのですが、ほのかにカレーの香りがして、初めて食べる風味でした。でもめちゃくちゃ美味しかったです。
昼飯時だったこともあり、スーツを着たサラリーマンや観光客で賑わっており、とても活気のある屋台村でした。ぜひ夜にも来てみたいですね。
「産業遺産」としての活路
「廃墟」という言葉には、何処と無く後ろ暗いイメージがあります。私もそういったところに行って写真を撮ってみたい、という気持ちは少なからずありますが、廃墟といえど、どんな場所・建物でも必ず誰かの所有地であることから、どうしても「非合法」「不法侵入」という言葉が頭をよぎり、行ったことはありませんでした。
しかし、今回の旧北炭清水沢火力発電所は所有者の方、地元ガイドの方が協力し「産業遺産」として公開していることで、合法的にこういった貴重な建造物を見学することができました。ガイドの方も非常に博識で、私が質問してもその全てに淀みなく答えを返してくれました。まるで博物館の学芸員のようで、夕張を愛し勉強されているのだなと感じましたね。
ですから、多くの人の手が入り保存されているこの建物は「廃墟」ではなく「産業遺産」と呼ぶべきでしょう。
北海道には、まだ多くのこうした建物や跡地が残っていますが、そのほとんどは朽ち果てるがままの状態です。軍艦島や八幡製鉄所のように、もっと北海道の産業遺産にもスポットが当たって欲しいですね。
今回の「旧北炭清水沢火力発電所」は、こうした北海道の産業遺産群が、これからどうして行くべきかの活路を示していると感じました。