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【廃墟・炭砿遺産】赤平市の旧住友赤平炭礦立坑に行ってきた

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石炭の時代、沸いた北海道の鉱業

北海道は、明治期の国策として、殖産興業の名の下、各所で炭砿開発が行われました。

石炭は当時の重要なエネルギー源であり、「黒いダイヤ」などと呼ばれて、北海道・九州を中心に全国各地に800箇所以上の炭砿が開かれ、それら炭砿を中心に産業都市が発展していきました。

炭砿を中心に鉱員が集まり、暮らすための集合住宅が出来、病院・学校などのインフラが整備され、映画館や風俗産業といった娯楽も発展していきました(軍艦島{端島}はそれの典型ですね)。

さらに掘り出した石炭を大都市に運ぶために鉄道が整備され、それはまた同時に、その都市の住民の足となったのです。

北海道では釧路市(釧路炭田)、夕張市(石狩炭田)といった2大炭砿に加え、夕張市北方の歌志内市、美唄市、芦別市、赤平市などが大きく発展しました。

第2次世界対戦の終了とともに石炭の消費量は落ち込みます。戦後復興が進み、産業の回復とともに再度エネルギー需要が高まりつつあったところに、より便利かつ効率のよい石油に取って代わられます(所謂エネルギー革命)。さらに国内の石炭も、海外から輸入される安価なものに対抗できなくなり、石炭産業は大きく衰退、炭砿を持つ街も人が離れて行きました。

夕張市は全盛期の1960年には12万人弱の人口を抱える当時としては大都市ではありましたが、その後住民が離れてゆき、現在は1万人を割り込んでおり、市政すらままならない状態にあるのはご存知の通りです。

今回訪れた赤平市も6万人居た人口は1万人強まで減少しています。

ただ、石炭産業がこういった地方都市の衰退現象の原因であるのは間違いないですが、かといってそれらの遺構を負の遺産のように扱う風潮には疑問を感じます。

少なくとも日本の近代化と戦災復興を支えた産業であるのは間違いないのですから。

今年7月に、九州を中心とした炭砿、鉄鋼業、造船業の産業遺産が世界遺産に「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として登録されました。長崎の端島も含まれています。

北海道の炭砿は、かつては石炭王国として世界的にも有名でした。原発の未稼働が続いている今だからこそ、稼働遺産として北海道の炭砿遺産を残していくべきではないでしょうか。

と、前置きが非常に長くなったところで、先日所用で旭川市に行ったのですが、その帰りに赤平市と歌志内市に寄って炭砿遺産を見学してきましたので写真と解説。

旧住友赤平炭礦立坑跡

炭砿、という漢字は、他の鉱山と違って金偏の「鉱」が与えられていません(とは言っても一般的には「炭鉱」ですが)。石炭が金属でないことに由来していますが、他にも坑道を使うから「炭」、炭砿の旧字体「炭礦」なども使用されています。

今回訪れた「旧住友赤平炭礦立坑」も旧字体が正式名称です。海運会社「北海道炭礦汽船」では現在でも使われていますね。

旧住友赤平炭礦立坑跡は、赤平駅からほど近い山沿いにあります。ちなみに上の航空写真で見えている左側の山も、もともとは平地だったところに、石炭を採掘する過程で出てきた土(わずかに石炭を含んでいる)を積み上げて出来上がった、所謂「ぼた山、ズリ山」です。こちらにはこの時に登っているので後々。

今回は先に歌志内をめぐり、道道114号を通って赤平に来ました。

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まず見えてくるのが巨大な立坑櫓。地下650mにまで及ぶ垂直掘りの坑道に、坑夫を降ろし石炭を上げるために用いられていました。この時立っていた足元に深さ650m、しかもそこから各レベルにいくつも枝分かれした坑道があると考えるとワクワクする反面恐ろしくも有ります。マインクラフトをやった方ならこの感覚わかるでしょうか?

巻き上げ能力は1600kWを誇り、当時「東洋一」と謳われた巨大で力強いエレベータは、なんと4段デッキ(!)*1、一度に72人もの坑夫を坑道に送る能力があったというから驚きです。

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同行した友人(後ろのプジョー206)とデミオのショット。もちろん建物の中には入ることは出来ませんが、敷地内にある慰霊碑と、その向かいにある玄関のある建造物の前までは入ることができるようでした。駐車場はありませんが、路肩が広いので短時間なら大丈夫かと。ただし、生活道路なので、交通量はそこそこあります。

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慰霊碑のちょっと奥、1枚目の写真の反対側。左の建物は事務所か宿所でしょうか。

意外に思われるかもしれませんが、この炭砿はつい20年前までは現役で稼働していたのです。しかし、管理をする人もいなくなり吹きさらしになった建造物は、20年以上経っているかのような物寂しさを漂わせています。

かつては多くの人が仕事をし、生活の中心となっていたであろう場所だけに殊更です。

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f:id:holy-jolly:20151124172906j:plain上の写真で見える、中央の白い建物の根元部分。となりはエレベータがある建物なので、こちらは掘り出した石炭を選別したり、トラックやコンテナに積み込んだりする施設でしょうか。

住友赤平炭砿は、明治時代にはすでにその埋蔵量が認められ、大規模な炭砿開発がなされていました。これに伴い、赤平市は大きく発展を続けていったのです。

しかし、終戦後の昭和30年ころには地下350メートルまでの石炭資源が枯渇。さらに深部の開発が必要となり、この巨大なエレベータが当時の金額で20億円(現在の貨幣価値で50〜60億円)がつぎ込まれ、1994年の閉山まで稼働し続けました。

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道路を挟んで正面から。右の建物は更衣室・浴場。

坑夫は地下に潜って長時間石炭を掘り続けるため、地上に戻る頃には真っ黒になっていました。その汚れを落とすため、立坑からすぐの距離に浴場があったわけですね。

また、立坑と浴場は地下通路で繋がっているとのこと。合理的ですね。

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これらの一連の建造物は老朽化は進んでいますが、立坑櫓に関しては今でも電気を通せば稼働するらしく、保存状態は北海道の炭砿遺産の中でもトップレベルにあるそうです。願わくば、内部を開放して(もちろん最大限に安全を確保したうえで)、一般公開や見学ツアーなどを組んでいただきたいものです。

 

 

ズリ山階段へ

旧住友赤平炭礦立坑から少し駅側に走ると、左側にちょっとした駐車場が見えてきます。

ここに車を止めて、ズリ山に登ることが出来ます。

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ズリ山根本にはなにやらフォトジェニックな建造物が。

「北炭赤間炭礦選炭工場跡」と看板に記載があり、先程までの住友とは別の会社(北炭=現在の北海道炭礦汽船)が運営していたものです。住友と北炭は同じ鉱脈を競って掘り合うライバル関係にあり、かなり近い距離で別々の会社の炭砿が稼働していたという事実にも驚きました。

選炭とは、掘り出した石炭から不純物を取り除き、サイズを均一にする工程をいいます。この遺構だけでは全く何をしていたのか理解不能でしたが、左の建屋が掘り出した石炭を入れておく「原炭ポケット」、右の斜路がコンベアだったようです。

この広場の広大さを考えれば、稼働時はかなり広大な炭砿であったことは想像に難くありません。その遺構のほとんどは解体され現在は当時を偲ぶものがこの工場跡だけ、というのも物哀しいものです。

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工場跡の右にはズリ山山頂への777段の階段があるとのこと。高度197.5m、平均傾斜18度という、もはやちょっとした登山です。ズリ山日本一というキャッチコピーも頷ける山でした。

これは登らにゃあるめえ、ということで友人と20分くらい掛けて、息も絶え絶えで登りましたが、山頂は辺り一面真っ白でした(知ってた)。

このズリ山は、昭和48年までここで稼働していた「赤間炭砿」によって掘り出された土砂や岩石、所謂捨て石を積み上げたもの。軽装備の私達がゼエゼエ言いながら登るこの山を、当時の坑夫は満載のトロッコを押して上がるという作業を繰り返していたのでしょうか。

晴れた時には赤平市を一望できる絶景ポイントのようなので、ぜひまた晴れた日に訪れたい場所の一つです。

歌志内市で神威変電所が見たかった

赤平市に来る前に、歌志内市に寄っていました。

北炭神威(かむい)炭砿に、なかなか綺麗な廃墟変電所があると聞いていたので。

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ただ、現在変電所前まで上がるのは不可能なようです。

上の写真、ブルーシートの上に斜路があるのが見えると思いますが、その先、右側に変電所があります。ただ、土砂崩れかなにかで工事をしているようで、斜路への道がなくなっていました。

この写真を撮っている手前にも立ち入り禁止のゲートがあり、ゲート手前から撮っています。

周辺住民の迷惑にもなりますし、管理会社への土地への不法侵入にもなりますので今回は諦めることにしました。レンズも手持ちで一番寄れるのが30mmでしたから豆粒みたいなのしか撮せませんでしたし...

写真奥から手前に流れる水路は、奥の神威炭砿口から流れ出る鉱泉のようで、かなりキツい硫黄臭がしました。

硫黄臭、小雨、人一人見ない歌志内市...様々な条件が重なって結構怖かったのは事実です。

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上の写真の左側にはコンクリート造の建物があり、とてもじゃないけど中には入れませんでした。

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後ろはこんな感じで廃屋です。いろいろ看板が転がっていましたが、文字はかすれて読めないものばかりでした。民家だったのか、炭砿施設の一部だったのか...

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この倉庫?の奥まで行き、ヤブの中を通っていけば神威変電所には辿り着けそうな感じはありましたが、長雨続きで道もぬかるんでいてそれまでの状況からあまりここには長く居たくはなかったので、早々に引き返し赤平へ向かったのでした。

歌志内市は、夕張市や赤平市と同様に炭砿によって大きく発展した都市の一つですが、

石炭衰退の影響を最も大きく受けた都市の一つでも有ります。

全盛期4万6千人を数えた人口は、現在その10分の1以下、3800人という、切迫した状況にあります。ちなみに北海道で一番人口の多い町村である音更町の人口は45000人と歌志内市の12倍。歌志内市は全国の市のなかで最も人口の少ない市という不名誉な称号を与えられています。

神威炭砿を探す過程でひと通り街の中を走りましたが、第一村人発見すらできないような状況。ようやく動いている人を見たのは市唯一のセイコーマート、という感じ。

そんな中、大量に建てられていたチロル調の炭鉱住宅が目を引き、今まさに死んでいく街を見ているようでなんとも言えない気持ちになりました。

産業遺産のアピールを

もう北海道の行く末と炭砿を取り巻く個人的意見は初段で語り尽くしたのでここでいうことはあまりありません。

北海道は札幌への一極集中が急速に進んでいる、とは言われていましたが、ここまで地方、とくに炭砿都市の状況がひどいことになっているとは思いませんでした。

炭砿遺産を少しでもアピールしようと、ホームページを作り、観光看板を建て、色々と努力している赤平市のようなケースが増えていくことを期待しています。

また、三笠市奔別にある「奔別炭砿・立坑跡」は聖地的な扱いを受ける素晴らしい場所のようなので、一度行ってみたいですね。

*1:よくわからない人は六本木ヒルズにある"籠"が上下2つあるエレベータの化け物みたいなものだと思ってください